6月の法話 常寂光土の足がかり/植田観肇

 先月、裁判員制度が始まった。裁判官や弁護士が制度に合わせた工夫をしている様子が報道されている。

 できるだけ簡単にわかりやすく事件の流れを説明するため、ワイドショーのフリップのように相関関係や時間の流れを示したり、犯罪現場の凄惨な写真や映像で直感的に犯罪のひどさを感じさせるような資料を作っているところだ。

 裁判員制度とは、国民から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに、地方裁判所で行われる重大犯罪の刑事裁判に参加するものである。被告が有罪か無罪かだけでなく、その量刑までも決めないといけない。

 制度の内容については賛否両論あるようだが、制度として始まった今、私たちはいつ呼び出されてもおかしくない。

 有罪か無罪かの判断だけでも難しいと思うが、刑の重さなど測りようがないのではないかと不安になってしまう。そのような中、もし私たちが裁判員になってしまった時、どう判断すればいいのだろうか。

 分かりやすい表面的な論理に同意し、ショッキングな被害者の写真に激昂することは簡単である。だが復讐心による判断は復讐の連鎖しか生まない。一時の感情に流されることなく、法華経の教えによって加害者の罪障を軽くし、また被害者の心を支えていく術を考えていかねばならないのではないか。

 一つの指針として日蓮聖人の以下のお言葉がある。

 武士として人を殺めたことがある者の罪は消えないのか、との光日房からの問いに答えて、「小さな罪でも懺悔(さんげ)しなければ悪道に堕ちるが、大きな罪であっても、法華経に帰依して懺悔することができれば、罪は必ず消える」

 懺悔とは罪を悔いて深く反省することである。

 大切なことはどうすれば被告が心の底から懺悔し二度と罪を犯さないようにできるかではないだろうか。

 それがお題目の実践であり、私たちが仏の世界(常寂光土)を作り出す大きな一歩となる。