5月の法話 心のしこり/相川大輔

 先日、中学生だったころのエピソードが、ふとした瞬間に心のなかに浮かび上がってきた。その内容は特別な思い出と呼べるような出来事ではない。それは中学三年生のある日、一人の先生が好意で私にかけてくれた言葉に対して、照れ隠しで先生の困惑するような言葉を返してしまったというものである。

 私は思わず恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、「先生、ごめんな。あの時は照れ隠しであんな事を言ってしまったけど、本当はうれしかったんだよ」と心のなかでつぶやいた。そうすると、波打つ心は静まりとても穏やかで暖かな感覚が胸を通り過ぎるのを感じた。

 こういった現象は、普段は心の深く深くに沈んでいる、過去の経験や感情が、何かを契機として、私たちが認識できる意識下まで顔を出すために起こるものである。そしておそらく、このような形で私たちの前に現れるエピソードは、初恋の甘酸っぱいエピソードを除けば、大抵は、これまでの人生のなかで失敗したり後悔したりしたものではなかろうか。言わば、それは「心のしこり」とも呼べるものだろう。

 実は、私たちは、日常生活を送るなかで、そういった心のしこりを心の奥底に日々ため込みながら生きている。そしてこの量があまりに多くなりすぎると、元気がなくなったり病気になったりしてしまうのだ。

 このような状況を解消するには、心のしこりをほぐして取り去っていく必要がある。その方法が、私が中学校の先生に対して行なった「懺悔(さんげ)」である。懺悔することで自ら行なった行為の善悪を認め、自分の心を納得させるのである。

 日蓮聖人もご遺文のなかで「小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬがれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きえぬ」と懺悔することの重要性を説かれている。

 心に嫌なエピソードが浮かんできた時、その時こそ心のしこりを解きほぐすチャンスなのだ。