4月の法話 初心に還って感激を新たに/日慧
桜の花が満開の、まるで絵に描いたような花のトンネルを通って、入学式に連れて行かれたのが、半世紀以上も前の私の小学校生活の初めだった。今でも脳裏に鮮明に浮かべることができる。新しいランドセル、新しい靴。何もかも新しい経験だった。
四月は何かと新しいものが多い。入学式や入社式など、年度の初めだけに始まりを告げる行事も多い。
スタートは大切だ。出だしでつまずいたり、誤った方向へ進んでしまうと、遅れを取り戻す苦労や軌道修正するのは容易なことではない。しかしそれ以上に大切なのは「初心」である。「初心忘るべからず」という警句もあるが、最初は固く心に持っていた決意も、慣れてくると次第に気も緩み思わぬしくじりにつながることがある。日々の繰り返しの中で、鋭敏に働いていた神経が、次第に鈍化し散漫になり物事を感じなくなってしまうのである。
それはあたかも、辛い唐辛子を毎日食べていると、次第に少々の辛さでは物足りなくなっていくのと同じようなものではないだろうか。あるいは美味しいご馳走も、三度三度食べると、そのうちには当たり前になってしまい、最初の感動がわき起こらなくなってしまうようなものである。
同様のことは信仰の世界にもある。尊い仏の教えも感動をなくしてしまえば、有難いと感じなくなっていくのが私たち凡夫の常だ。これでは素晴らしい教えが詰まったお経も、コマーシャルソングほどにも価値を見出せないものとなる。
年に一度の四月。この月ほど初心を取り戻すのに最良の時節は他にない。八日はお釈迦さまの誕生を祝う花祭り。また二十八日は宗祖日蓮大聖人が法華経お題目の教えを弘めることを誓願された、「立教開宗」のご聖日である。
お題目との出会い、その有り難さを初心に戻って再認識すべき絶好のチャンスだ。美味しいものを心から楽しむように、お題目の教えをじっくり楽しみ味わっていただきたいと願う。