11月の法話 菩薩行を生きる/相川大輔


 先日、テレビで、広島と長崎に原爆が投下された日にちを知らない若い人が増えているというニュースを見た。戦後七十年を経て、人類社会の歴史上で唯一の被爆国であるこの国においても、すでに記憶の風化が急速に進行していることを痛切に感じた。このようにして悲劇は忘れ去られ、そして繰り返されるのであろうか。

 このニュースを聞いた時チェコ出身の文豪であるクンデラが著作の中で語った言葉が思い起こされた。ある時彼はナチス時代の写真を偶然見つけ、自分の少年時代を思い出して懐かしく感じたという。彼自身ナチスに苦しめられ、親戚の何人かは強制収容所で亡くなったにもかかわらず。彼はこの出来事は私たちの行う全ての行為が一過性のものであり、時とともに忘れ去られるためではないかと考えた。

そして、もしも私たちの行為が永遠に繰り返されるのであれば、その一つ一つの行為に重い責任が生じ、その分私たちの人生はより真実味を帯びてくるのではないかと。クンデラのこの考えは、仏教でいうところの輪廻の考え方に通ずるものがあるだろう。

 私たち人間は歴史を通じて、また個々人の人生を通して、自らの貪欲や憎しみ怒りから起こる過ち=悪業を繰り返している。そして私たちは、そういった悪業が生じた事実、また悪業が生じた原因を振り返り反省することがないため、自らが犯した悪業を忘れ去り、再度悪業を繰り返してしまう。ではいったいどう生きれば悪業を積まずに、穏やかに人生を過ごせるのか。

 その答えが、法華経に説かれる「菩薩行」である。自らが行おうとする行為がお釈迦様の教えに沿っているかどうかを常に考え、他者や自分自身が菩提に近づけるように工夫して生きていく。この菩薩行の実践はかなり大変なものであるがそうすることで自分の人生に重みを持たせることができるのではないだろうか。まずは、一日の終わりに仏道を歩めたか反省をすることから始めてみたい。