11月の法話 はやぶさ/倉橋観隆

 昨今暗いニュースが続く中、久々に感動を覚える出来事が有りました。

 それは、今年六月の小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還です。火星と木星との間にある小惑星イトカワへの七年・延べ六十億キロにも及ぶ探査の旅でした。途中故障や、行方不明になるなどアクシデントも数多く有りました。まさに満身創痍。しかし、地球誕生の謎を解く可能性を秘めた岩石を、微量ながらも抱えてやっと戻って来たのです。そして、大気圏に突入するや、それが入ったカプセルを地上に投げ落とすという最後の使命を果たし、自らは流れ星の如く燃え尽きていったのです。

 テレビに映し出された、あの光景に切なさと感動を覚えた人も大勢いたのではないでしょうか。たしかにはやぶさは、コンピューターでコントロールされており、人間のようには意志を持たない金属の固まりかも知れません。しかし、私はあの映像を見て、未知なる宇宙へのロマンと探求心をかきたてられました。と同時に、はやぶさが印した探査の航跡、それ自体が私たちに、今忘れかけている大切なことを思い出させてくれた気がします。

 それは何か。「橋は人に踏まれて人を渡す」という言葉があります。まさにはやぶさの如く、いかなる困難に遭遇しようとも決してあきらめず、自己の身を挺して他を生かす。それがすなわち自らの命を輝やかせる生き方になっていくのです。これこそが法華経が説く最も大切な教えである「菩薩行」の心に通じていくことなのです。

 日蓮大聖人も半生を振り返り「二十八年が間、また他事なし。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんと励むばかりなり。これすなわち、母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」と述べられております。人々の幸せを第一に願い、身を挺してお題目を弘められたご生涯でした。このお姿を私たちも今一度しっかりと心に刻み込み、日々精進して行こうではありませんか。