10月の法話 寝かせて待つ/日 慧

能勢妙見山で、献稲祭という行事がありました。

今年収穫された新米を、仏祖並びに妙見様や各お堂にお供えします。

根が付いたままの稲穂をご宝前に供え、読経唱題して豊穣を祝い感謝して、世界の平和と人々の幸福を祈ります。

この稲穂はその年選ばれたお二人の献納者により捧げられます。春の種蒔きから夏の草取り等々と、丹精込めて育て上げるのです。

農事に疎い私ですが、仏神に捧げる稲穂を育てるのは、大変なご苦労があることと察します。

雨の少なければ水やりに気を配り、逆に雨が降り続けば無事に生育するかと、気の休まる間もないのではと愚考します。

この行事、九月十七日に執り行っているのですが、以前は十月十七日に行っていました。

ひと月早くなったのは、稲の生育が早くなったためです。十月には実が落ちてしまうのです。

昔は十月に実りの秋を迎えたのですが、今は九月半ばに稲刈りが大方終わります。

最近は更に早くなり、献稲祭をもっと早めないと稲穂がなくなってしまいかねないとも聞きます。

早くもっと早く、と私たちは動いてきました。

仕事の連絡も、かつては手紙か電話だったのが、今は電子メールやSNSで、時間を気にせず送信できるようになりました。

私も夜中に送ってしまうことがあります。

しかし受け取った方は夜中であっても気になります。

すぐ処理し返信が来ます。

結果はお互いに時間を奪い合ことになるというのが今の社会状況です。 

早く済ませて空けた時間を楽しむのではなく、逆に仕事が増えるのでは、息つく間もなくなります。

「寝かせる」という言葉があります。何もしないのではなく、熟成されるのを待つということです。

今の事を今すぐにというのも大事ですが、時にはじっくり練り上げることも大切です。

コロナ禍にあって、したいことがあってもできないことにストレスを感じる人も多いことでしょう。

そんな今こそ、まさに「寝かせ時」ではないでしょうか。