11月の法話 天賦の才/倉橋 観隆

 「天賦の才」という言葉があります。天が与えたかと思うような生まれながらに備わった優れた才能のことです。

 学生時代、勉強は学年トップ、スポーツ万能、更にイケメン。そんな友人がいました。私は憧れと同時に強い嫉妬心を持っていました。皆さんもそんな経験ありませんか。

 この羨望嫉妬の心は常に私の心を苦しめ続けていたのです。そんな思いに対して「人は優劣ではない。みんなちがってみんないいのだ」と言われるかもしれません。勿論そうでしょう。しかし、一方こんな見方もあります。

 日蓮大聖人のこんなお言葉に出会いました。

「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」と。

 それはすなわち、自分の今の姿はたまたまではないんだよ。過去世での行為の結果が今世の姿に現れ、今の行為の結果が来世の姿になるのだよ、という意味なのです。

 言い換えれば、私たちの命、あるいは魂という表現を使えば、肉体は無くなってもそれは過去世、今世、来世と三世に亘って繰り返し生まれ変わり、その間の努力に応じて成長するのです。そして、その成長の結果こそが今世生まれながらに備わった「才」と考えられるのです。

 とするならば自分の才能の無さを嘆く前に今から努力を始めれば良いのです。たとえ今世その成果が出なくとも、必ず次の世で天賦の才として現れて来るのでです。これも法華経の説く「平等」の一面ではないかと思います。

 こう受け取ると私の苦しみも少し和らぎます。今の自分を卑下し人を妬むのではなく、今の一歩は必ずいつかは実る一歩だと信じて努力を続けようではありませんか。これも大聖人からのエールだと受け取って…

 棺桶の蓋が閉まるまでどんな状況に置かれようともすべて修行なのです。くじけそうになったらお題目を杖に精進しましょう。