2月の法話 「ひと」とは/倉橋 観隆

 「人は人によって苦しみ人によって育てられる」

 こんな言葉がありますがなぜ私たちを「ひと」と呼ぶのかご存知でしょうか。 諸説ある中で数の数え方に由来するともいわれています。「一、二、三~十」を「ひ、ふ、み~と」と読みますがこの読み方は日本語のルーツといわれる大和言葉の読み方だそうです。

 「ひ」とは物事の始まりという意味で、「と」とは完全な球体を表現しているそうです。これを人間に当てはめると「ひ」という誕生から始まり四割くらいで「ひよ」になり七割で「ひな」、十割で「ひと」として完成するというのです。そして、その成長を促すためには何が必要か。それには「しつけ」が肝心だということです。

 「しつけは『つ』の付くうちに」と聞いたことがあります。「ひとつ、ふたつ~ここのつ」と、まさに語尾に「つ」が付く年の間に「しつけ」をすることが重要なのです。そして、十才になりそれが土台となって「ひと」としてスタートするというのです。「三つ子の魂百まで」とも言われるのもこの辺りにあるのかも知れません。

 ところでこの「しつけ」が最近、ことのほか揺らいでいるとは思いませんか。

 先日こんな標語を見かけました。

「お母さんスマホ見ないで僕を見て」

 色々な方のお話を聞かせていただいて痛感するのは「ひと」は育つ時の家庭環境が如何に大切かということです。

 日蓮大聖人は仏様の教えの根本は「人の振る舞いにて候う。賢きを人と言い、はかなきを畜生という」と戒めておられます。

 「子育てで親育つ」

 まずは大人が自らの行いで「ひと」のあるべき姿を伝える責務があります。

 「ひと」の最も美しい姿は、胸の前で両手を合わせている姿ではないでしょうか。仏像の多くが合掌する姿なのは「ひと」の完成した姿を表して下さっているからなのです。日々心がけたいものです。