6月の法話 ロボット供養/植田観肇


 ついにロボットがお葬式をする時代になったようです。

 少し前になりますが、テレビのニュースで犬のロボットが袈裟を着て同じ型のロボットの葬儀をしている映像が流れてきました。

 数年前に大手電機メーカーが作った犬型ロボットが製造終了となり、補修部品も尽きて廃棄せざるを得なくなったロボットたち。しかし所有者(飼い主?)が愛情を込めて大切にしてきたロボットを、心情的に、そのまま廃棄することができず、葬儀をすることとなったようです。なぜ、葬儀まで同じロボットにさせたのかは分かりませんが、最後には人間のお坊さんがきちんとお経をあげておられました。

 ここ数年、人工知能開発は新たな局面に入り、コンピューターの学習精度が飛躍的に高まりました。二〇四五年には人間の知能を越えるという説もあり、その時には今私たちがやっている仕事のいくつかは人工知能に取って代わられているかもしれません。

 とはいえ、お坊さんはロボットに代わられることはないだろうと思っていた矢先のこのニュース。人間としてできることをきちっとやらねばと、気持ちを新たにしました。

 さて、私たちがロボットに供養される日が来るのかはわかりませんが、人形供養のように、生き物でないものを供養するというのは日本古来からよく見られる風習です。しかも、人形のような生物に似せたものだけではなく、針供養や包丁供養など、道具についても供養してきた歴史があります。長い間大切に使い、助けてもらっている道具に感謝する気持ちがあればこそ人間にするように、感謝のお経をお唱えし供養をするようになったのでしょう。

 ありがたいと感謝し、他を大切に思い寄り添う気持ち。それがロボットにはない人間の持ち味ではないでしょうか。

 裏を返すと、慈悲の心を軽んじた仕事はすぐにロボットに代わられてしまうかもしれませんね。