6月の法話 友人の海外旅行/森 慈徳

 私の友人がコペンハーゲンへ旅行に行っていたのですが、その地名を聞き、「コペンハーゲンってどこにあるん?」が私の第一声でした。

 友人が、コペンハーゲンでバスに乗っていた時の話です。

 ある停留所でバスが止まり、眼の不自由な方と青年が降りて行ったそうです。しかし、二人が降りてもバスはドアを開けたまま動こうとせず、不思議に思っていたところ、さっきの青年が戻ってきて、元の席に座ると、運転手さんがドアを閉めバスが動き出したというのです。

 友人はこの光景を見たとき、衝撃を受けたと言っていました。

 この国では必ず、体の不自由な人が降りる時には、身近に居る一番若い客が付き添って安全に降ろし、当たり前のようにバスは付き添っていった客を待つというのです。

 日本では「知らない人と話してはいけない」など、見ず知らずの人を警戒し、疑って見てしまうことが一般化しているように感じます。しかし私たちは、コペンハーゲンのように人と人が信頼し助け合う世の中を目指していかなければなりません。

 お釈迦様は、すべての人に対し思いやりを持ち、常に人々の幸福を願っておられました。つまり、どの様な者にも慈悲の心をお持ちになられていたのです。また、日蓮聖人は立正安国論の中で「あなたが心から自分自身の安らぎを得たいと思うならば、何よりもまず社会全体が平和になるように祈るべきだ」と述べられています。

 自分自身だけの内面的で個人的な安らぎのみを求めるのではなく、社会全体の平安を成し遂げてゆく生き方と行動を通して、初めて個人の安らぎや幸せも約束されるのです。

 ですから私たちは、お釈迦様のように慈しみの心を持ち、一人でも多くの人に仏様の教えを広めることによって、安穏な社会を確立し、個人の幸せと安らぎ得ることが出来るのです。