5月の法話 端午の節句/新實信導

端午の節句で思い出すのが「鯉のぼり」。この鯉のぼりをあげる作業は家族総出のイベントであった。倉庫から竿を出し、竿を組み立てのぼりをあげる。一見簡単に思えたが、なかなか作業は大変であったことを子供ながらに憶えている。

昔から疑問に思っていたのが、こどもの日(端午の節句)に「鯉のぼり」をなぜあげるのか?何か意味があるのだろうか?

もともと端午の節句とは中国を起源とし、奈良時代から続く古い行事であるという。もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日に、邪気を避け魔物を祓う薬草である菖蒲や蓬を軒にさした。しかし、当時は五月に限ったものではなかった。午(ご)=五(ご)の音が同じことから、毎月五日を指すようになり、やがて五月五日になった説もある。

やがて、時代が武家社会に移ると、菖蒲と尚武(武士を尊ぶ)とが結びつけられ、男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。これによって武士の家庭ではこの日に虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を述べたという。

一方、商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を飾り、のぼりの代わりに五色の吹流しを飾るようになった。さらに、「竜門」の故事(中国の黄河で竜門という激流を登り切った鯉は竜となる伝説がある)にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになり現在の魚型ののぼりに派生していったという。

武家であろうと、商人であろうと、のぼりには子供の出世と健やかな成長を願う親の気持ちが託されてることに違いはない。

私たちにとって、親であるお釈迦様は、子供である私たち衆生を覚りの世界へと導こうと常に手を差し伸べられているが、覚りの道は険しく平坦ではない。幾度の山を乗り越えなくては成仏へたどりつけない。

お釈迦様は、竜門を登る鯉のような私たちが、竜に成長することを期待し見守っていらっしゃるのである。