5月の法話 子に過ぎたる財なし/相川大輔
先日、次男が誕生して百か日を迎え、お食い初めのお祝いをした。母親のお腹にいた時に発育不良と診断され、母子ともに入院するという事態があったので、ここまでの成長がなおさらうれしい。抱っこしていると温かい気持ちでいっぱいになる。お釈迦様の説かれる慈悲のお心とは、この心持ちを一切のものへ向けていくことなのだろう。
しかしこの子が成人する頃には私は還暦を過ぎている。この子と過ごせる時間は意外と長くはないのだ。私はこの子に何を伝え遺すことができるだろうか。そう多くのことは伝えられないだろう。そうなると人生に一番必要となる“仏法”以外には考えられない。お釈迦様も「法を灯明にしなさい、自らを灯明にしなさい」と説かれており、その教えに正しく沿って人生を歩めば迷うことはない。
ところで、先日子育て中の若いお父さんと話す機会があった。乳幼児の次女の泣く声を聞くと自分でも怖くなるほどものすごくイライラしてしまうとのこと。このようなことは子育てをしているとよくあることだと思う。恥ずかしながら私も4歳の長男には手を焼きよくイライラしてしまう。
最近幼児の虐待のニュースも多いが、そのお父さんにさらに話を詳しく聞くと彼は仕事や今後の人生のあり方について悩んでいるという。また、長女への愛情は非常に大きいという。
つまり、現在彼の置かれている環境に対する彼の不満や怒りが、彼の次女への愛情を曇らせてしまっているのだ。まずはこのことを自覚し、自らの怒りを少しずつ消していき、元々自分の中に存在している次女への愛情に気づくことが肝心であることをお話した。
私自身、子育てというのは思っていた以上に大変なものだと実感している。しかしながら、子どもは私たちに“慈悲”の心というものを教えてくれ、さらに、お釈迦様の教えを次の世代に伝える役割を担ってくれる大きな存在である。悩みはつきないが一緒に歩んでいきたい。