4月の法話 顛倒の衆生/偉美理庵

 気のせいか歳のせいか、年々忙しさが増しているような気がする。

 そんな話をしていたら、他にもそう思っているという人が少なくないことが判った。

 大阪から東京まで行ってくるにしても、昔なら夜行列車を使っても二日はかかるところだが、今は新幹線を使って一日で充分往復できる。飛行機なら何往復もできるほどだ。時間はずいぶん節約できるはずだ。通信にしても、手紙のやりとりではなく、パソコンなどを使ったメールのやりとりなら即時に用が足せる。それなのに、昔より忙しくなってきたというのだ。

 便利になった分、私たちは待つ事ができなくなってきたのかもしれない。今すぐに返事を貰う、あるいは返事を出さないと気が済まなくなっているのではないだろうか。その結果、ある程度仕事をためて、優先順位を決めてかかればいいのに、たとえ後からゆっくり取りかかれば良いものでも目の前に積まれた順に取りかかることになり、そういった仕事に振り回されて、大事なことを後に回してそれだけで一日が終わってしまうことになる。

 ところで、私たちにとって一番大事な事とは一体何だろうか。まず家族や自分が無事安穏に暮らしていくことであろう。その第一は食べることと寝ること、つまり生命の維持である。そして次にはより良い人生を快適に過ごすことだ。

 私自身、食べる間、寝る間を惜しんで仕事に没頭するという時もあるが、お釈迦さまだって不眠不休で生涯通されたわけではない。

 お経に「顛倒の衆生」という言葉がある。本当に大切なもの、大事なことを忘れて目先の些末事に振り回されているのが、私たちの姿だと説く。そんな私たちを仏さまは優しく見守り、私たちがいつか大事なことに気付いたときにはすぐにも手を差し伸べ、導き救おうとされているのである。合掌し南無妙法蓮華経と唱えることにより、その仏さまの手にすがることができると説かれるのである。