8月の法話 豆腐/倉橋観隆
こんな随筆があります。作者は俳人荻原井泉水。
「豆腐ほどこの世の中でよくできたものはない。形は四角四面だがカチカチではない。世の中には煮ても焼いても食えないという言葉はあるが、豆腐はそのままでもおいしいし、煮ても焼いてもおいしい。あんかけにしてもいいし、油で揚げてもいい。また魚や肉や鳥と一緒に料理されても、決して見劣りしないし、ひけをとらない味を持っている。それだけでなく魚や肉を引き立たせることはあっても、その特徴を邪魔することがない。汁に入れれば大根や芋と仲良くやるし、
おでんにすれば、コンニャクやちくわともつりあう。その硬さは、柔らかいけれども身を崩さないだけのものを持っている。与えられた時、場所、相手に応じて適応し、しかも相手をも生かしてゆく。これはひとえに豆腐に自我がないからである。その元を尋ねれば、大豆の時には重い石臼に粉々にされ、途中でニガリなど他の物と混ぜ合わされ、最後に細かい布の目からギューッと絞り出されるというように散々苦労してきている。だから、どんな場所に置かれても恥じらうこともないしその身をてらうこともなく自然に他と調和することができる。本当に大したものだ。私はとても豆腐の足元にも及ばない」
人生に苦労は付きものです。その散々の苦労は自分を固くし、とがらせてしまいがちです。なぜなら苦から我が身を守るためには致し方のないことでしょう。例えば、最初柔らかいゴムホースも日照りや寒気にさらされ続けると次第に硬化し最後にはポキンと折れてしまいます。同様に苦労を苦労のまま終わらせてしまうと硬化したホースになってしまいます。しかし豆腐の様に苦労を苦労で留めないで、持ち味を引き出してくれる過程と受け取った時その見え方が変わるかもしれません。
「見方が変わると味方に換わる」楽になりたければ苦から逃れてはいけない。「らく」には必ず「く」が付いているのですから。