8月の法話 魚とりと子供/植田観肇


 「にいちゃん、そっちそっち。そこにいっぱい魚がおるで~」橋の上から大勢のギャラリーのアドバイスと笑い声が響く。どこに魚がいるかなど言われるまでもなく見えているが、顔をまっ赤にして頑張っても、魚は網にかからない。

 先日、知人から聞いた一幕である。幼稚園児の子供と二人で近所の川へ魚をとりに行ったという。その川は大人のスネくらいの深さで、橋の上から見ても分かるほど小さな魚がいっぱい泳いでいる。子供にかっこいいところの一つでも見せるかと、いそいそと準備をして川に向かった。

 その日は天気の良い日曜日。橋の上から見ると、網を入れれば誰でもすくえるのではないかと思うほど、いっぱい魚が泳いでいる。子供と一緒に川岸に下りていき、さっと網をふるう。しかし、そこにあるのはきらきらと輝く水滴のみ。何度やっても魚はかからず、ついに靴を脱いで川の中に入ってみたけれど、結果はでない。道行く人も橋の上に集まってきて、段々とギャラリーは増えていくが、バケツの魚は全く増えない。後から来た小学生が慣れた手つきで次々と魚をとっていくなか、恥ずかしいやらなにやらで、結局捕れた魚は一匹だけだったという。

 色々準備しては来たけど所詮付け焼き刃、いつもやって手慣れている子供にはかなうはずもなかった。

 何事も継続することは大きな力になる。日蓮聖人も信仰のあり方を次の様に例えておられる。法話を聞いたときだけ火のように激しく燃え上がり家に帰るとすぐに消えてしまうような信仰よりも、水のようにちょろちょろでも継続的にずっと信仰することのほうがずっと素晴らしい、と。

 何かをやろうと決意すると準備ばかり大層にして肝心の何かは三日坊主というのはよくある話。自分にできる範囲でいいのでまずやる。そして、ちょっとでもいいので毎日やる。継続してやっていれば必ず大きな力になります。何かやろうと思っているあなた、いつ始めるの。今でしょ!