9月の法話 仲良き事は…/宮本観靖

「人の気持ちは難しいな」

 電話していたとき、友人がそう話しを切り出した。

「何があったんや」と聞いてみると夫婦ゲンカだ。売り言葉に買い言葉でケンカに発展し、奥さんは実家に帰ってしまったらしい。

 彼からこんな話を聞くのは何度目だろうか。いつもケンカのきっかけはつまらないことが多い。今回も、「嫁さんが冷蔵庫に入れておいたジュースを勝手に飲んでしもてん」とのこと。

 きっかけは些細なことでもケンカにまで発展するのは普段からのストレス、不満などもあろうが、それを表す言葉にも問題がある。

 私も言葉で失敗したことがある。「あ~一言多かった」「キツイ言い方をしてしまった」と後で思う事がよくある。そんなときは相手の気持ちを考えず自分本位で言ってしまったことが多い。親しい関係であればあるほどその傾向が強い。自分にとって親しい人は、自分の気持ちをよく解ってくれていると勝手に思い込んでいるからである。

 反対に、自分がその親しい人の気持ちをどれだけ理解しているのかと改めて考えてみると、自信をもって「こうだ」とは言い難い。

 人の気持ちを解るには常に相手の立場に立ち、理解しようと思い、相手を敬う心を持とうとすることが大切である。そのような心から出た言葉は決して人を傷つけることはないはずだ。

「仲良き事は美しい哉」という言葉があるが、これは相手を思いやり、理解し、互いが敬っている、そんなお互いの心が美しいという意味ではないだろうか。

 互いが自分の主張をするだけではなく、相手を敬い理解しようと努力すれば、より多くの人同士が美しい関係を築くことができるのではないだろうか。

 日蓮宗ではいま、「立正安国・お題目結縁運動」を推進している。その大きな柱のひとつが但行礼拝=他を敬うということである。世界中の人々が、互いに敬い合う世の中になれば、いがみ合いもケンカも、紛争も戦争もない、理想の社会が実現できると信じる。