3月の法話 彼岸=理想社会の実現を/偉美理庵

 

 思い通りのことが何でもできる。

 そんな力が得られれば、何をしたいと思いますか。

 子供の頃なら、思いっきりお菓子を食べてみたいとか、遊園地で遊びまくってみたいとかそんなことが浮かぶかもしれません。受験生なら希望校に間違いなく合格したい、と考えるでしょう。社会人になれば、家が欲しい、もっと時間が欲しい、昇進したい、などという願いが出てきます。

 ただ、そんな思いが叶えられるようにと望んでも、現実はそう簡単にはいきません。それがために悩みが出てきます。その悩みを、自身が努力することにより叶え、あるいは考え方を切り替えることにより、克服しているのが私たちです。

 しかし短絡的に、欲しいものを得るため人の物を盗み取ったり、嫌なあの人物をギャフンと言わせたいとの思いから人を傷つけたりするなど、事件にまで発展することもあります。

  健康でありたい、もっとお金が欲しい、人に認められたい……。私たちの願いのほとんどは健康・金品への物欲・人間関係に集約することができます。いずれも私たちにとって大切なことです。でもどんなに健康を願っても、人は誰でも年老いてやがては死を迎えます。思い通りの品を得ても飽きて、また別のモノが欲しくなり、キリのない物欲に駆られます。愛する人とは必ず別れなくてはならないらないときがあり、嫌な人と顔つき会わすことがあるのも人間社会に生きる限り必ずついて回ります。

 実は個人の願いを叶えようとするだけでは、私たちは満足できないようなのです。豪邸に住んでご馳走を食べられなくても、愛する人たちと日々安心して暮らすことができるなら、よかったと思える人生を築くことができるのではないでしょうか。それには不安のない社会が実現されなくてはならないのです。

 これを仏は理想社会=彼岸と説き、日蓮聖人は「立正安国」という理念を以て理想社会の実現を目指されたのです。