9月の法話 再会/末田真啓


 人生において、数十年ぶりの同窓会での旧友との再会や、思い掛けない所での知人との偶然の出会いなど記憶に残る再会を経験された方も多いでしょう。

 最近、子供の頃に実家で一緒に暮したことのある従兄弟と再会する機会がありました。およそ五十年ぶりのことです。

 当時、幼い兄弟は、兄の方が小学校に入学したばかりで、弟は幼稚園に通っていたと記憶しています。兄は聡明で心優しく弟は少しやんちゃでしたが兄弟仲よく、その静かな生活態度は周囲の大人が感心するほどでした。夏休みにみんなで身延山や七面山にお参りした時、風邪をひかないようにと何枚も蒲団を重ねすぎ「苦しい!」と申し訳なさそうに言われた事もありました。田舎式のトイレが怖いのでいつもついていったことなど、いまでも鮮明に覚えています。

 しかし、懐かしい思い出話をする時間もなく、今回は双方の近況報告だけの再会になりました。長い間疎遠になっていたことが気掛かりでしたが「私もお題目を唱えています。少しですけどお経も読めます…」という自信に満ちた信仰の表明は、過去も現在も、そして将来にわたって同じ信仰の世界を共有できる喜びとなり、五十年の歳月の空白を埋めるためには十分なものだと感じました。

 法華経の中にも、五十年ぶりに再会した父子の話が説かれています。長者の家を若くして出て行った息子が、偶然にも五十年ぶりに父である長者の邸宅を通りかかります。長者は身分を明かさず、息子を使用人として雇い入れ、真面目な仕事ぶりを認めて、最後には、息子であることを公表して全財産を与えました。

 長者とは釈尊であり「大慈悲者としての仏」が私たち衆生をあらゆる手段を使って未来永劫に渡って救済してくださるという教えです。そして、長者が与えた財産とは、真実の教え「法華経」のことです。

 日々お題目を唱えることで私たちはこの財産を頂戴することができるのです。