6月の法話 五十肩/新實 信導
右肩が痛い。朝、起きてからも違和感がある。
顔を洗い歯磨きをしていると、肩がづきづきと痛むようである。
軽いものを持っても痛みを感じ始め、徐々に痛みがましているようだ。
痛み始めて一週間がすぎた。
症状もあまり良くならないので、整形外科の病院に診察に行った。
両肩のレントゲン撮影が終わると、先生の問診が始まった。
「骨は異常なし。肩甲骨と上腕骨の間もしっかりと隙間があるので問題なし。
ただ、右手を上げた状態だと骨と骨の隙間が狭い。多分インナーマッスルが細くなっているようです。何か激しい運動をしましたか?」
「自宅の床の工事を少々しましたが…」と答えた。
「これは、五十肩の症状です。
肩の表面には大きい三角筋があり、その内部には腱板とよばれる四本の筋があります。
その一番上の棘上筋(きょくじょうきん)を傷めたようです。症状は腱板不全損傷です。
もう、若くないから、無理しないように。それと、決して肩を冷やさないように注意してください。
塗り薬を出しますのでしばらく様子をみてください」とのことであった。
思い起こせば、自宅の玄関と廊下がフカフカしたので、大口たたいて「俺が直してやるわ」といったことが始まりであった。
床を捲ると床下はシロアリにやられ、ひどい状態であった。床どころか床下全てを取り替えることになり、思いのほか大工事になってしまった。
このことがなれない大工仕事で肩に影響がでたのかもしれない。
釈尊の悟りの原点は、この世のあらゆるできごとや物事は、すべて「苦」であるという。
つまり、一切皆苦(いっさいみなく)であるという。
ここでいう苦とは、あらゆる物事や、すべての出来事は、みな私たちの思うようにならない、望むようにならないものであるという意味である。
これからも肩の痛みとの長い付き合いを心にきめたと思うと、こころなしか肩の痛みも和らいできたような気がする。