コラム 知識(ちしき)

 本来は仏教語で、サンスクリット語の友人を意味するミトラの漢訳語である。漢語の「知識」には友人・知人という意味があったのでミトラの訳語としたのだが、元々「知識」には「知る」という意味があったので、今我々が使う「知っている内容」という意味にも使われるようになった。

 お経を読むと「善知識」という言葉を眼にする。一言でいえば善き友人の意であるが、正しく教え導いてくれる人、高い徳行を備えた指導者のことを指している。

 釈尊を害そうとした提婆達多という極悪人を釈尊は善知識と呼んでいるが、彼がいたからこそ釈尊は成道し仏になれたのだと説明されている。

 厭なヤツだと思う人物も、実は自分にとって善知識なのかも知れない。そうだと思えば親しみも湧くのでは。