3月の法話 煩悩即菩/相川大輔

 最近感動したイタリアのテレビドラマの話です。主人公は男性で医師、幼い息子を亡くしたことから立ち直れずにいます。息子を学校へ迎えに行くのですが息子は見当たらず、必死で探しますが息子と会うことはできず、という悪夢を毎晩見ています。

 そんな中、ある葛藤を抱えた青年を病院で担当することになります。主人公はこの青年の葛藤を解決することに奔走しますが、主人公が青年に亡き息子を重ねていることは容易に想像できます。つまり主人公は仏教でいう「愛執」の心で彼と関わっているのです。

 ついに医師の手助けによって青年の葛藤は解決されます。医師と青年との間に絆が生まれ、抱き合う二人。このシーンでは、主人公が学校へ迎えにいった息子をようやく見つけ抱きしめる映像が重なります。ここで主人公の心に変化が生じます。

 主人公は亡き息子の存在をこの青年の中に、それどころか自分が関わる全ての若者の中に見出します。まさに、「愛執」の心が「慈悲」の心に転換した瞬間です。もちろん彼が救われた瞬間でもあります。

 主人公のこの苦しみから救いへの転換を見て思い浮かべるのは「煩悩即菩提」という言葉です。彼の亡き息子への煩悩は、「青年を助けたい」という気持ちを媒介にして「慈悲(菩提)」へと変容し、自分自身や青年、さらに周りの人々を救っていくことになったのです。

 私たちが日々取り組んでいる「お題目の受持」もまた、煩悩即菩提に密接に関係していることは言うまでもありません。

 気候変動やコロナ禍、侵略戦争等の困難が立ち現れる時代にあり、私たちは様々な不安やストレスを抱えた社会を生きています。

 しかしながら、私たちの目の前に現れる様々な困難を変容させ、乗り越えて、自分自身や周りの人たちの成長や救いにつなげていくことができるのが、お題目の信仰の力であると言えるのです。