10月の法話 ウェディングドレス/偉美理庵

 この夏、爽やかなお話を聞いた。今年金婚式を迎えたMさんは、五十年間連れ添ったご主人やお孫さんまで、一族そろって信州へ親族旅行に出かけた。その途中、ご子息たちの案内で、しゃれた洋風の建物に入った。そこにはウェディングドレスが並んでおり、

「おばあちゃん、どれがいい?」

 孫娘が聞いた。

 ああこの子も近く結婚することになったのか、と納得しながら、これはどう、あれはどう、と一緒になって選んだ。

 ところが驚いたことに、試着室へ連れて行かれ、自分がそれを着ることになった。何が何だか判らないうちに、人形のように着せ替えられて部屋を出ると、これまた浮かぬ顔つきのご主人が、タキシード姿で待っているではないか。

「はい、お二人様そこに並んで下さい」

 見ると親族そろって写真撮影の用意が調っており、

「金婚式記念の撮影です」

 聞いたとたんにMさんは子供たちのうれしい企みを理解して、思わず瞼を熱くしたという。

 その時の写真を前に、

「今になってこんな格好をするとは思いもしなかったけど、夫と子供たちに恵まれてこその悦びですよ」

 ちょっと照れながらの感想である。

 親子も夫婦も、何よりも深い愛情で結ばれている。しかし、もし夫婦のどちらかが存在していなければ、互いに夫あるいは妻にはなれない。また親がいなければ子供も世に出ることはなく、逆に子供がいなければ親になることもできない。親子・夫婦いずれも、両者のどちらかがいなければ、今の自分はない。仏教ではこれを縁起という。互いが互いを縁として存在する。相手の存在があるから今の自分が存在するのだということである。

 Mさんの涙にはそんな思いが秘められていたのではないだろうか。夫婦も親子も、お互いに良縁に感謝して存在を認め合う。記念の一葉は、まさにその瞬間を伝えるものであった。