10月の法話 我此土安穏/辻田教融

 先日復興支援ボランティアとして岩手県は陸前高田市に行ってまいりました。

早朝、ボランティアセンターに集合、その日依頼があった中から自分たちに合う作業を割り当てられます。私が割り当てられたのは、大船渡町付近の海岸に放置されたままのガレキを、可燃物と不燃物に仕分けする作業でした。

 作業現場までの道中テレビなどで大津波に襲われた大船渡の景色を見ました。

 遠くに復興シンボルの一本松が見えます。見渡す限り更地になっており、そこに雑草が生えて草原のようになっています。そして点々と残る、破壊されたままの工場やマンション跡。 

 道路はガレキがすべて撤去され、所々大きな段差がある程度で車はスムーズに通行できます。しかし行けども行けども何もない風景が続きます。

 また海岸沿いでは重機でガレキの山が作られていました。堆く盛られたガレキは雑草や木が生えており、長くその場に放置されたままなのが分かります。

 作業現場のガレキは人の背丈ほどでした。仕分けをすると、濃い潮の匂いとなにかの腐敗臭が漂い、炎天下の作業と相まって私はすぐに気分が悪くなってしまいました。

 自我偈の中程に「我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種々宝荘厳 宝樹多華果」とあります。仏国土の様子を表している文ですが、仏国土とは決して遠くにあるのではなく、釈尊が法華経をお説きなさったこの世界こそが仏国土です。しかし私の見た陸前高田の様子は、かつて漁業や農業の盛んな平和な土地ではありませんでした。震災から一年半経過してなお、なにもない更地です。

 最近は人同士いがみ合うようなニュースばかり見聞きします。しかしいがみ合ってばかりではなにも進展などありません。現実に被災地はいまだに復興ままならない状態です。

 皆が手を取り合い、まずは復興へと努力する、それが仏国土を現す第一歩ではないでしょうか。