3月の法話 食を財とす/辻田教融
最近、テレビをつけても雑誌を開いても、ダイエットという文字が躍っています。流行りのように誰もかれもがダイエットに取り組んでいます。かくいう私も最近お腹周りが気になってきました。
ダイエットというと一番に思いつくのはカロリー制限。食事の量を減らしたり肉や脂ものを控え、野菜中心の食事に変えたりして痩せようとするのですが、とにかくお腹が空いて辛いものです。辛さが我慢できずまたリバウンドしてしまった、などという話はよく聞きます。
辛いのですが私もカロリー制限しようと思い、食について色々と調べていましたら、その過程で驚くようなデータを見つけてしまいました。
農林水産省が食品の廃棄物について取りまとめたデータなのですが、それを見ると平成十八年度で年間一一三五万トンとなっています。食品加工場やレストラン、スーパーなどの小売店、さらに家庭からの食べ残しなどをまとめると、とてつもない量の食べ物を私たちは捨てているのです。
街には飲食店が溢れ、スーパーには山のように食材が積まれています。しかし現代人は摂取カロリー量が徐々に減る傾向にあるそうで、これから益々廃棄される量は増えていくだろうと予想されています。
日蓮宗では食前の作法として食法(じきほう)をお唱えします。その中の一節に「たとえ一滴の水、一粒の米も功徳と辛苦によらざることなし」とあります。
私たちが生きていられるのは食材の命を頂いているからであり、またそれを汗水たらして育んだ人がいるからであり、天地の恵みと仏の大慈悲があるからなのです。
食は単なる物ではなく、私たちの命を輝かす財宝のようなものではないでしょうか。
食事の前に手を合わせ「いただきます」と言うのは何故なのか、みんながちゃんと理解できれば必ず捨てられる食べ物は減っていく、そう確信いたします。