11月の法話  モラル・ハザード/新實信導

 賞味期限が過ぎた牛乳を使ったシチューが夕食に並んだことを思い出す。
「いま食べたシチューに使った牛乳は賞味期限切れ」「加熱したし、すぐには
傷まないから大丈夫」と、言われ何とも言えない気分を味わったことがある。

 家族間ならば賞味期限切れの材料を使用してもなんら問題はない。しかし、
これが企業ならば、取り返しがつかなくなるような社会問題へと発展し、企業
の存続さえ危ぶまれることになりかねない。近年、食品会社の問題が話題に
なっていることでも知り得る。

 ところで、モラル・ハザードという言葉が、ここ十年ぐらいで急速に広まり、
新聞でもよく見かける。モラル・ハザードとは「倫理の欠如」という経済学の
用語で、「社会全体の利益を考えずに、自分の利益だけを追求すること」と
言われているが、たいらにいうとモラルの低下といえる。

 ここで大切な点はモラルの低下が社会問題となっていることである。
中国産を国産と書きかえて生産地を偽って出荷をしたり、賞味期限が間近な
ものや切れたものを日付を変更してラベルに貼り替えて出荷する。賞味期限
切れの材料を使用して食品を生産するなど、食品不信は、消費者を不安に
陥れる。食品の安全を考えると、大企業だからとか有名だからというだけでは
安全だと言えなくなったのは事実である。

 今や家庭や社会での理念が失われつつある。利益のみを追求してすぎて、
少々悪いことでもばれなければよいといった雰囲気が漂っている。自己の進む
べき道や目的を失い、どこか混沌とした状態に陥っている気がしてならない。

 日蓮大聖人は「約束」を実に大切にされた。末法である今の世に法華経を弘
めることをお釈迦さまに約束され、生涯をこの約束に懸けられたといっても過言
ではあるまい。

 約束を果たすことは社会生活での信頼関係を築き、モラル・ハザードとは無縁
となる。

 いま、私たちにとって約束という「真心」が問われている。