3月の法話 情けをかけるは誰のため/植田観龍

オオイヌノフグリ 地下鉄に乗っていた時のこと。老婦人と中年の婦人が百貨店の手提げ袋を抱えて乗ってきました。すると私の隣にいた若い女性が黙ってスッと立ったのです。空けてもらった席に座ることが出来た二人の会話が、私の耳に入ってきました。「めずらしいねぇ。最近の若いお嬢さんは席を譲ってくれへんから・・・」私は最近の老人たちが、若い人は弱者に対して配慮がない、と日頃感じている事に驚くと同時に、他者への配慮が日本文化から消えつつあると寂しく思ったものです。

 そんな時に頭に出てきたのが「情けは人のためならず」という諺でした。皆さんはこの諺を聞いてどのような意味だとお思いでしょうか。最近は「情けは人のためにならない」と解釈する人がいるようです。つまり、情けは人のためにならないから、むやみに人を助けないほうがいい。基本的に皆自立すべきだというわけです。取りようにしてはそうとも取れますが・・・。

 さて、日蓮聖人の『食物三徳御書』という、日蓮聖人が遠近の信者さんや弟子へ送った手紙を集めた書物があります。日蓮聖人は信者さんから食料などのご寄付を受けたときは、まめにお礼のお手紙を書かれていました。日蓮聖人が晩年をお過ごしになられていた身延山へ食料を寄付して頂いた信者さんへのお礼のお手紙の中に「人に物をほどこせば我が身のたすけとなる」と書かれています。この後に「譬へば、人のために火をともせば、我がまへあきらかなるがごとし」と続いています。先ほどの諺と日蓮聖人のこのお言葉は同様に「他人への情けは相手のためだけではなく、やがて自分にも巡ってくる」ということを意味しています。

 人の気持ちに共感するという人間としての行いは自分自身の喜びにもなり、その功徳は自分にも返ってきます。すべての人々が他人のために役立てる喜びを実感し、そして世界の人々が明るくなるよう心がけ、しっかりとお題目を唱えましょう。南無妙法蓮華経