3月の法話 日拝みの日/小川教融

 私事で恐縮だが、昨年五月より真如寺に勤めて、初めての春の彼岸を迎える。

 今年の春分の日は三月二十日、この日を彼岸の中日という。その春分の日から前後一週間をお彼岸としてご先祖様のご供養や墓参をする人も多いことだろう。

 このお彼岸という年中行事、実は日本独自の行事だということをご存知だろうか。仏教行事のほとんどはインドの風習が伝わったものであったり、中国の行事であったりする中で、意外に思う人もいるのではないだろうか。

 一年のうちで、春分と秋分はちょうど昼と夜の長さが同じになる、太陽が真東から昇って真西に沈む日である。古来より日本では、この日に太陽を拝んでいたという。日拝みと言い伝えられており、その日拝みが転じて「ひがん」となったという説がある。

 今でも日拝みの風習は残っていて、聖徳太子にゆかりのある大阪の四天王寺には真西に極楽門という門があるという。春分の日には太陽がこの門の向こうに沈んでいく。それをこの極楽門から拝むと西方の極楽浄土に往生できると言い伝えられている。

 ただし私たちにとって太陽といえば、もちろん法華経である。

 日蓮聖人の書き残された御妙判(『観心本尊抄』)にこんな言葉がある。

 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然(じねん)にかの因果の功徳を譲り受けたもう」

 私たちは有り難い事に、なにも特別なことをしなくても、御仏の御前で手を合わせ、一心にお題目をお唱えするだけで、釈迦牟尼仏の修行の功徳とその成果の全部をいただけるというのである。正に太陽の如き深い慈悲に満ちた教えではないだろうか。

 この功徳をご先祖様の為に回向すれば、ご先祖様はどんなにお喜びになられることか。春分の日には法華経の教えをかみしめ、手を合わせ、心の奥底からお題目をお唱えしたい。