4月の法話 佐渡の思い出/末田真啓


 社会が大きく変わるかもしれないという希望と不安が交錯した大学二年の春休みのことです。

 寒さの残る日本海の風に吹かれ、直江津港からフェリーで二時間半、着いたのは日蓮聖人が流罪となって三年間を過ごされた佐渡ヶ島の南部にある小木港。

 旅の目的は佐渡に到着された聖人の塚原三昧堂までの道程と島内の霊跡を徒歩で辿ってみることでした。

 早速、港の近くの寺から海岸沿いを歩いて松ヶ崎を訪ねました。松ヶ崎は日蓮聖人が佐渡に降り立った最初の地です。道標を頼りに歩き始めましたが、海岸沿いの行程で予想以上に時間を費やしてしまいました。このままでは間に合わないと、急遽途中からバスに変更しましたが、もし徒歩であったなら半日以上は掛かっていたでしょう。「心細かるべきすまいなり」といわれた塚原三昧堂に着いた頃には、すでに陽も落ちて辺りはすっかり薄暗くなっていました。

 日蓮聖人が佐渡に来られた当時、聖人は罪人のレッテルを貼られ、ご信者も退転し、その様子は「千が九百九十九人は堕ちて候」と言うほど逆境のまっただ中におられました。そのような逆境の中、ここ塚原では教学の中心思想をなす「開目抄」を、また一の谷(さわ)では「観心本尊抄」を著され、のちに法華経の救済の世界を表わした大曼荼羅を開顕されました。

 「魂魄佐土(渡)の国にいたりて」と云われた気魄に満ちた聖人と対照的に、凡人の旅はトラブルの連続です。徒歩で霊跡巡りを続けていた折、参拝者らしくなかったのか不審者に間違われました。また、島内最高峰の金北山の登山では、日没寸前に何かに導かれたかのように山頂近くの宿舎に運よく辿り着き、冬期休業中の宿舎をご厚意で開けて頂き何とか雨露をしのぐことができました。これも日没が三十分早かったら、暗闇の山中で遭難していたかもしれません。

 日蓮聖人に思いを馳せつつ、また佐渡の霊蹟を歩いてみたいと思います。