4月の法話 芽吹(めぶき)/新実信導

 山々の木々にも新芽が膨らみ始め、春は確実に妙見山にも来ている。道端のアジサイも以前のような枯れた様子から一変して、枝の先に緑の新芽をいくつも付けている。

 木々の芽吹いた姿を眺めていると、生命のたくましさを感じさせられると同時に眺めている私にも力強さをいただいているように思えてならない。

  「芽」の文字は、白川静著『常用漢字』によると、「牙は獣の牙(きば)で、強くて鋭く曲がった形をしている。草や木の芽も、そのような力を含んで生えてくるので、草かんむりをつけて芽といい、芽ぐむ、きざすの意味に用いる」と詳しく解字されている。

 その力は猛獣の牙に喩えられるほどの生命力なのである。だから、古来から、人々は新芽に魅了されてきたのであろう。

 また和歌や俳句の春の季語にもなっている。芽立ち(めだち)、芽吹く、芽組む(めぐむ)、芽張る、木の芽山、木の芽時、木の芽冷、木の芽晴、木の芽雨、木の芽風、芽起こしなど多数の同意季語があることからも推測できる。

 草や木の芽は、厳冬の間じっと息をこらえ、春に備えた力を、いっせいに吹き出す。待ってたかのように気温の上昇とともに、春めいたとき芽吹くのである。その姿は満開の花にも負けじと劣らないほどである。 「芽吹く」とは、「芽生える」と同じように、幸運ががめぐってくるという意味でも使われ、物事がはじまるきざしでもある。つまり開運ということである。

 妙見山の山頂には北極星の信仰からはじまる開運の守護神である北辰妙見大菩薩がまつられている。開運とは突然おこるラッキーな幸運ではなく、長い間の努力や忍耐によって培われた成果が、その結果として現れる。だから冬の時期ような修行期間を経てこそ春の幸運が訪れるのである。

 厳冬の時期を経てきたからこそ、小さな芽でも力強さにあふれている。新芽には、真芽の信仰を持つことだと諭されたかのようだ。