5月の法話 真浄の法味/當山第三十二世日法上人遺稿

レンゲソウ 日蓮聖人は『事理供養御書』に、「魚は水に住む、水を宝とす。木は地の上にをいて候、地を財とす」と示される。

 魚は水の中にすんでいてこそ生命が保たれる。水中から陸へ出せば忽ち死んでしまう。従って水を何よりも宝とする。木は土地があればこそ生きられるのであって地面から抜いてしまったら枯れてしまう。従って土地を何よりの財とする。人間は生命を保つため食べたり飲んだりする。食べ物を得ることができなければ生命を保てない。従って飲食を何よりの財とする。

 ところで法華経を信じ行ずる者を守護して下さる諸天善神は何を財とされるのであろうか。諸天善神は真浄の法味をなめられることにより、その勢力を保つのである。真浄の法味とは、法華経お題目である。諸天善神に差し上げる法味が足りなければ、諸天善神は力が出ず、十分なる守護の力を発揮できないのである。

 『立正安国論』に聖人は「地震、洪水、旱魃、飢饉、悪病がおこり民衆が困苦するのは守護の諸天善神が真浄の法味をなめることができないため、この国を捨てて天へ上がってしまわれ、間隙に乗じて邪神が入ったためだろう。だから速やかに法華経によって政治をせよ。法華経の一善に帰せよ」と認め、北条執権に対して建白されたのである。

 このように守護の諸天善神は、真浄の法味によって威光勢力がつくのであるから、真浄の法味こそ宝であるということができる。

 私たちは毎日三度の食事をいただき、その間にはお菓子や果物を食べたり、飲み物を飲んだりして生命を保っている。だが私たちは諸天善神に対してどれだけ法味を捧げているであろうか。

 困った時のみの法味だけでなく、せめて朝夕の二回ぐらいの法味は平素から献上すべきではないか。年一回の大祭において法味を修するのも諸天善神に守護をいただいていることを感謝すると共に、益々の威光勢力をお願いするために厳修しているのである。