5月の法話 迷惑/宮本観靖


 「人に迷惑をかけたらあかんで」先日、六歳になったばかりの私の娘に言った言葉です。

 娘は「うん!わかった」と、とても良い返事をしましたが、その直後「それで迷惑って何?」と質問してきました。それを聞いた私は、「人が嫌がったり、自分がされたら嫌な事」と答えましたが、次の瞬間「でも迷惑って何だろ?どんな事だろ?」という疑問が浮かんだのです。

 周りを見渡せば「迷惑」という言葉は謝罪や怒り、訴えや標語等に良く使われており、日常の中でよく見聞きするありふれた言葉となっている様です。

 テレビで著名人が「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げている姿は、もう御馴染みとなっています。

 「迷惑」という言葉は、他人に不快な思いをさせるまたは自分がその様に思う事として使われています。しかし元々は仏教用語で、心の迷いや道理に迷う事を意味していたものです。

 ところで現在使われている「迷惑」という言葉には人に頼み事をする時に「ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」と言ったりする様に、「人の手を借りる」「お世話になる」という意味も含めて使われることも多いようです。

 その様に考えてみると、私達はいつも誰かのお世話になりながら、つまり迷惑をかけながら生きている、とも言えるのではないでしょうか。「私は誰にも迷惑をかけていない」と思っている方でも、今食べている御飯、着ている服など、全ての事は多くの人の手を借り、迷惑をかけることで成り立っているからです。

 仏教では、全ての事は互いに関係し合って存在していると説かれています。それは私達がお互いにお世話をし、お世話になる、少しずつ迷惑をかけ、かけられながら支え合って生きている存在だという事です。

 多くの方に迷惑をかけ、支えてもらっている事で生かされている私達。自分もその支え合いの輪に入っていると実感できたならこんな幸せな事はありません。