6月の法話 蚊帳(かや)ノススメ/服部憲厚
これから暑くなると必ず蚊に悩まされる夜がやってくる。実家での夕食時そんな話題になった。
その中、祖母が「昔は蚊帳を吊り、家族揃って寝たもんや」と蚊帳についての良さを語りだした。私も家族も昔話を聞く様に頷いてはいたが、時代錯誤だという雰囲気は流れていた。けれども負けるどころか更に熱く祖母の蚊帳の演説は続く。ついには私に、昔の物を一つ残してあるから持って帰りなさいとまで言われたが「吊る所がない」という理由でその日はなんとか終わった。
実際使った事もなく乗り気ではなかったのだが、気になって調べてみるとなかなか蚊帳も捨てた物ではない事がわかった。
今の世の中それぞれの部屋を閉め切りクーラーに電気式の蚊取り線香で快適に寝るのが当たり前。しかし蚊帳で寝ると電気も薬品も使わないためにエコロジーだ。しかも家族が寄り添って同じ蚊帳の下で寝る姿はなんとも微笑ましい。蚊の目線で見ても最近の殺虫剤や蚊取りは強力で、無差別な殺虫兵器としてうかつに近寄れない脅威であるに違いない。しかし蚊帳は蚊にとって血は吸えないが、命までは取られない。
考えてみればこれは仏教の不殺生の戒(いましめ)に通じるものがある。仏教徒にとってはとても大切な事で、無駄に生き物の命を奪ってはいけない、殺すなかれという仏様の教えだ。これは、自然と共に生きる私達が命を頂いて生きている事に気付き、命に対する尊厳と感謝と懺悔の心を育てる。まさにこの蚊帳は、人にも蚊にも安全で平和な環境を作り出す素晴らしい物であった。日本の文化や昔の人の知恵の中に仏様の教えが生きている事に改めて気付かされる。
今の日本は西洋の文化、欧米式の生活にどっぷり浸かり、どこか行き詰っているように感じる。殊に東日本大震災での原発事故によりこれからの私達の生活のあり方が問われている今、祖母のあの「蚊帳ノススメ」は蚊帳の外にしておけない話しかもしれない。