7月のたより 変わらぬもの/日 慧


 作家というと、たとえばうずたかく資料の積まれた机に、原稿用紙を前に万年筆を持ち、たばこの煙をくゆらせている姿が浮かぶ。あるいはホテルや温泉にこもり、大作の草稿に苦心する様子を聞いたりした。

 ところが先日、テレビに高名な作家の書斎が出ていたが、広い机にノートパソコンがあるだけの情景。物足りないほどさっぱりした様子が映し出されていた。

 今やパソコンなしでは原稿が書けないという。これはこの私にも当てはまる。勿論、売れっ子作家の足下にも及ばないが、私も日本ペンクラブ会員の一人である。この団体は文筆を通じて世界の相互理解を深め、表現の自由を守ろうとする文筆家の団体だ。初代会長の島崎藤村をはじめ著名な作家が多数会員になっている。彼らと肩を並べるつもりは毛頭ないが、確かに文筆の作業というものも、時の移り変わりの中で、すっかり昔とは違うものになってしまったのはよく解る。

 しかし、ものを書くという創作の過程というか、知的生産部分の中身は変わりない。どんなにパソコンやIT技術が進歩しても、それだけでよい作品ができるものではない。最後は人の力がものをいう。

 そんな人の力を生み出すための、人の考え方や心の動きというものは、世の中がどんなに変わろうが昔から変わることがない。嬉しいものはいつも嬉しい。嫌なことはどんな時代であっても嫌だ。喜怒哀楽に変わりはないのだ。私たちは世の中の流れに惑わされ、この当たり前のことを忘れてしまっているのではなかろうか。目先のことに振り回されては真の姿、即ち人が人である中核が見えない。

 これを見えるように説かれたのが仏である。そして仏の教えもまた変わることがない。仏は遙か昔から今に至るまで変わることない人の心の動きをよく知っておられ、そして正しい在り方を示して下さっている。その変わらぬ真理=仏の教えをよく聴き、さらに次の人に伝えていくのが私たちの役目なのだ。