7月の法話 菩薩の涙/植田観龍

「お兄ちゃんばっかり仮面ライダーずるい。僕も仮面ライダーやりたい」「お兄ちゃんが仮面ライダーするんやからお前は怪人やれ」こんな言い合いをして兄弟ケンカしている写真が押入から見つかりました。懐かしく二人で大笑い。面白い事に性格は全く逆な私達。私はどちらかと言えば短気でカリカリしてしまう方ですが、弟は気長でひょうひょうとしています。

 そんな私の性格を知ってか以前父親が「こころを鬼にすると菩薩さまが涙をこぼす」と言った事があります。どういう事でしょう。

 日蓮聖人は『諸法実相鈔』という書物の中で「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねども涙ひまなし」と記されています。

 鳥や虫は縄張りを知らせたり、異性の気を引こうと生活の手段として鳴いています。それは悲しい訳ではなく涙腺も無いので涙が落ちる事はありません。

 日蓮聖人はご自身を上行菩薩の生まれ変わりであると自覚されており、一切の衆生を救いたいと強く願っておられたのですが、当時は戦乱や天災が続き人々は苦悩の中で暮らしていました。それが日蓮聖人にとっての大きな悲しみであり、声に出して泣きはしないけれど慈悲の心によって涙を流されていたのです。

 菩薩というのは悟りを求めて修行する者の事です。観音菩薩や地蔵菩薩などはよく知られていますが、これらの菩薩は悟りを開いた後もこの世にとどまり苦悩する人々を分け隔て無く救い続けておられます。そして日蓮聖人と同じように人々を救いきれない事を憂いて涙を流されるのです。

 私たちもまた菩薩のように慈悲の心を持って、分け隔て無く人と接しなければならないのですが、菩薩にはほど遠い私たち凡人にはなかなかできるものではありません。しかし、頭にくるようなことがあった時はそのまま怒りをあらわにせず一瞬でもいいので菩薩の涙を思い出して下さい。きっとあなたも慈悲の心で人と接することができるはずです。