7月の法話 蔵の財よりも身の財 / 植田観龍


 昔、テレビでお宝拝見という番組を見たときです。視聴者が大切にしている物を番組で紹介するというものでした。こんな物が、というものがその人の大切な宝物であったりします。私にとってなくてはならない物、それが宝物であると言ってもいいと思います。檀家さんの話ですが、ある日仲のいいお友達が遊びに来られました。会話の中で、家族やご先祖様のお話になったそうで、「あんたの宝物は何や」と聞かれたそうです。その方は「わしの宝物は家族や」と答えられました。その息子さんは「私の宝物はご先祖様です」と答えられました。非常に信仰の篤いご家庭ですのでそういう答えが自然と出るのも納得できます。その時お孫さんが「違うやん、家の宝物はこのお仏壇やろ」と答えたそうで、そこに居合わせた家族は一瞬びっくりしたような顔をされたそうです。お孫さんに理由を聞くと「だって家で一番高いものやんか」とのこと。大笑いしたとお話下さいました。

 『蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは、心の財をつませ給ふべし』これは日蓮聖人が書かれた崇峻天皇御書の一節です。

 蔵の中に山ほども財を積むことができても、身体が弱くては何にもならぬ。だから蔵の財よりも自分の身体に備わった財のほうが秀れている。また身体がどのように健康であっても、心が浄く豊かでしっかりしていなくては何にもならぬ。だから心に備わった財が第一。この手紙をご覧になったら、心の財を積み上げるように心掛けなさい。と仰せです。

 お金を持っているという満足感はあるかもしれませんが、使えばいつか無くなります。また守るのに汲々として、かえって金持ちほど汚くなる、などと言う人もいるほどです。

 私達にとって何にもまして大切なもの。それが心の財です。人々の心の豊かさが求められる今、日蓮聖人のお言葉が響きます。