7月の法話 駄菓子屋考/服部憲厚


 子供の頃の楽しみといえばなんといっても駄菓子屋である。

 当時ひいきにしていた店は、無口で強面のおばちゃんが切盛りし、今にも潰れそうな四畳半程の古ぼけた店であったが、いつも子供達で繁盛していた。

 毎週日曜日。決まって私は百円玉を握りしめこの駄菓子屋に駆け込む。兄から仕込まれた買い方は、質より量。五円から三十円の駄菓子を上手に買えば百円で六品は買える。小遣いが百円だった私は「一度でいいから思う存分買ってみたい」と毎度叶わぬ夢を抱いていた。

 そんな子供の頃の夢を叶えられる大人になった頃、今にも潰れそうだったあの店が本当に潰れてしまったのである。夢半ば、跡地に建つしゃれた分譲住宅は、時代の栄枯盛衰を物語っていた。

 全国的にみても昔ながらの駄菓子屋は著しく減少しているようだ。街から姿を消した原因は、少子化に加え経済的に裕福になったこと、コンビニの乱立などが考えられる。今ではほとんどのコンビニに駄菓子コーナーが設けられ、細々経営していた駄菓子屋は次々と行き場を失った……

 たまにコンビニで子供の頃の夢を思い出し、駄菓子をしこたま買い込んでみるが、あの頃の感動がないどころか、食べきれず虚しさだけが残る。

 やはり駄菓子屋の醍醐味は、限られたお小遣いの中でいかに楽しむかが勝負なのである。

 世の中はどんどん便利に進化し、人はどんどん自由に成長しているように思える。しかし、時としてそれは私達の欲望が肥大化し、退化しているだけではないかと思うこともある。

 肥大化した欲望の行きつく先は幸福ではない。お釈迦さまは「五欲に著し悪道の中に堕ちなん」(お自我偈)と三千年も前から私達に警鐘を鳴らしておられるのだ。

 あの駄菓子屋の無口で強面のおばちゃんの唯一の口癖が懐かしく思い出される「欲張ったらあかん!」