8月の法話 父親の慈愛/新實信導

「授業中だぞ、ちゃんと前を向いて話を聞きなさい」

 後ろを向いて友達と話をしているT君。先生が何度注意をしても知らん顔。

 小学二年生担任の先生はT君に手をやいていた。ある日の夕刻、先生はT君の自宅へ伺って両親と相談した。先生はT君の学校での生活態度を話し始めた。そして両親の子供の接し方について細かく聞いた。T君の父親は幼い頃に戦争で父を失い、父親の愛情を全く知らない。そして現在は自動車整備会社に勤務しているが、休日は知人の採石場で作業車整備のアルバイトをしていた。

母親は、幼い弟の育児に追われ、T君をあまり構ってやれなかった。そこで先生がT君のお父さんにお願いをした。

「T君が授業を聞かない要因として考えられるのは、父さんの愛情不足だと思います。今晩からお父さんが馬になって、T君を背中に乗せて歩いてください」

 その日から、お父さんは毎晩T君を背中に乗せて歩いた。そして二週間が経過した。後ろを向いて授業を受けることはなくなった。それからというもの父親は休日のアルバイトにはT君をつれて手伝いをさせ、子供と時間を共有するように心がけた。努力の甲斐があってかT君は徐々に先生の話を聞くようになった。

 この話は、私が父から聞かされた私の幼い頃の話である。父は自分も父親として未熟であった。自分の親と同世代のベテラン先生でお寺の住職もであった先生に出会ったことは、まさに仏様の計らいであったと思う。あの先生には感謝していると語ってくれた。

 父親の役割とは、単に命令したり、指導することだけではない。まず母親と共に子どもを養い、育み、慈しむ事が親としての基本である。強く厳しい父親の姿も必要であろうが、それ以上に、慈愛に満ちた優しい父親でなくては、子供は安心できない。仏様は私たち衆生の父であることを宣言されているが、父親の慈愛とは、まさにその仏様の慈悲の心に通じるものではないだろうか。