8月の法話 虫の声こころの声/新實信導

とんぼ こう暑いと何事も気力が失せてしまいそうである。節電対策のため、エアコンを使用せずに夏を過ごそうと思いはじめて、今年で五年目となる。

 ある夏は軒下からネットを吊り下げ、プランターにゴーヤやキュウリの苗を植えた。緑のカーテンで日よけと食材の一石二鳥を狙ったが、そう上手くは行かなかった。ゴーヤが病気にかかり、下の方から葉が枯れる始末。緑のカーテンどころか、日よけとしても役に立たない。さらに大量の水を消費するので水道代がかかり、その年限りで断念。やはり、すだれやよしずで直射日光を遮るのが理にかなっているといえよう。

 ところで、昔の家は夏の暑さをしのぐため様々な工夫がなされていた。高い天井や深い軒、屋根裏は部屋でもできそうな空間を設けて熱を屋根裏にとどめ、部屋の障子や襖を外すことで風通しを良くし、少しでも快適に過ごそうとした。

 では、今日の家屋はどうだろうか?エアコンの効きを高めるため、建物の機密性が重視され、外壁やサッシ窓で密閉して外気を通さないような仕様になっている。町全体を見ると、このような住宅が密集することで広大な壁となり風の通り道を塞ぎ、エアコンの排気熱も相まって暑い空間をさらに暑くしている。

 こうして今日の私たちの生活を振り返ってみると、家屋の密閉度が高まるのに同調するように私たちの心もいつしか遮断され、自己の利益だけを追求し他を顧みることがなくなっているように感じる。快適な生活を求めた結果なのかもしれない。

 家の窓を開放すると風に乗って、精一杯鳴いている虫の声や蛙の声が耳に入ってくる。この声を聞くと、暑いと愚痴っている自分が情けなく思え、虫の声は、いつしか心の声と同調し、自分も自然の一部であるという実感が湧いてくる。仏さまの御心が、虫の声に乗って己の心を開き、精一杯生きて悔いの無い人生を過ごせよと教えられているような気がしてならない。