9月の法話 マニュアル人間/植田 観肇
「ストローつけますかー」コンビニで一リットルの牛乳を買った時のこと。若いバイト風の男性が慣れない手つきで牛乳を袋に入れながらの一言。小さい紙パック飲料を買った時にはよく聞くセリフだが、一リットルの牛乳パックを買ってこのセリフを言われたのは初めてだ。
普段コンビニでもらうストローはあまり長くない。だからもしそれをもらっても底まで届かないため、残念ながら役に立たない。だが、店員さんがわざわざ声をかけると言うことは、もしかしたら私の知らない間に一リットル用の長いストローが開発されたのかもしれない。迷った末ストローをつけてもらう事にした。
一抹の不安と期待を胸に家に帰って改めて確認すると、そこには見慣れたストローが一本。案の定、パックの底まで届かなかった。牛乳を飲みながらふと「マニュアル人間」という言葉が頭に浮かんだ。
マニュアル人間というと画一的で融通がきかない人の代名詞のような使われ方をする。しかし、マニュアル人間が悪いのは、マニュアルに無いことが起きた時変化に対応しようとしないことであって、マニュアル自体が悪いわけではない。
実際の現場ではマニュアルは重宝する。丁寧に分かりやすく書かれたマニュアルがあれば長年の経験が必要な高度な仕事でもそれなりにこなせるようになる。例えるなら、数学の難解な公式を自分で証明できなくても、公式を知っていれば問題が解けるのと同じようなものではないか。
これは仏道においても同じかも知れない。日蓮聖人は四信五品鈔の中で「小児乳を含むに、その味を知らざれども自然に身を益す」と、仏教の難解な思想を理解できなくても、まずお題目を信じて実践することが大切だと説かれる。仏教は実践することにこそ意味がある。理解することだけに一生を費やしてしまうと、せっかくの智慧も生かせない。お題目という日蓮聖人が説かれた公式をまず信じ行ずることが大切だ。