6月の法話 ひねくれ者の強さ/植田観肇

 妙見山の境内には一万年続くブナの自然林があり、大阪府と兵庫県川西市の二府県にまたがり天然記念物に指定されている。

 一万年と聞くと気が遠くなりそうなくらい遠い話のように感じるが、それは毎日毎日の自然のサイクルが重なったことの結果に過ぎない。とはいえ、一万年が一日の積み重ねでできていると思うと、当たり前の山の景色もダイナミズムあふれた生き物のように見えて来る。

 そんな一万年続く森の中を歩くと何百年も生きて来た木々に出遇うことができる。中でも大木のブナなどは、一見まっすぐ立っているように見えるのだが、よく見ると皆身体をひねり、ねじるようにして空に伸びているのが分かる。

 生態学の先生に尋ねるとこれはねじることで強度を高めているのだと教えてくださった。そのときは、人間も多少ひねくれている方が長生きするのかもしれない、などと冗談を言って終わっていたのだが、あとで調べてみると、木がねじれるのは風の影響が強いということが分かった。

 木は毎日毎日風にさらされるが移動して逃げることもできないので、その風に身を任せて少しずつ柔軟に身をひねって風を逃がす。それが積み重なることで中の繊維が、ちょうど絞った雑巾のようにひねられる。雑巾は絞れば絞るほど堅くなるが、木も同様に強度が上がっていく。それが何十年何百年と続いていくことで十階建てのビルほどもある巨体を支える礎となる。継続は力なりとはまさにこのことだ。

 日蓮聖人は「火の信仰より水の信仰」という表現で信仰のあり方を説かれた。火の信仰とは、火がついたときは勢いよく燃え上がるが、すぐに燃え尽きてしまい長続きしない信仰。逆に水の信仰とは、後戻りすること無く柔軟に形を変えながら着実に進む水のような信仰をいう。

 私たち人間の寿命はせいぜいわずか数十年だが、柔軟な心で毎日の信仰を積み重ねていきたい。