7月の法話 口癖/倉橋 観隆

 「無くて七癖。有って四十八癖」
 人にはそれぞれ癖というものがあります。その中に口癖もあります。

 私の場合、二十代の頃はすぐに「どうせ」が口をついて出ていました。

 学生時代、東京のあるお寺で住み込み修行をしていた時のことです。その当時ご住職を先生と呼んでいました。

 ある日、先生と食事をしている時、いつもの「どうせ」が出てしまいました。

 すると先生が

 「君はすぐ『どうせ』と頭に付ける。その口癖を直しなさい。これから言う度に罰金百円取るぞ」と。
 私は「そんなこと言われても、どうせ…」

 「はい百円」

 本当に取られてしまいました。

 その後もついつい口に出てしまい…。気付けば食堂に置かれた「どうせ貯金」と書かれた箱はいっぱいになっていました。

 ある日、先生は私にこんな話をして下さいました。

 「『どうせ』とは、まだやってもいないのにマイナスの結果を想定した、諦め言葉としてみんなよく使うよな。それは自らをどんなにかおとしめていることだとは思わないか。自分をもっと信じて一歩踏み出してごらん。すると、今見ているのとは違った景色が見えて来るんじゃないかな。一歩また一歩と進むうちに、やる前には想像もしていなかった、本気になっている自分を発見できるかもしれないぞ」

 「『出来るか、出来ないか』ではなく『やるか、やらないか』なんだよ。何事も覚悟の問題なんだ。更に私たちにはその背中を押して下さるものがある。それが日蓮聖人が言われるお題目の力なんだよ。仏様を信じて、何事も諦めるなよ」

 そして、最後にこう付け加えられました。

 「『どうせ』にはもう一つ使い方がある。『どうせやるなら!』」

 その「どうせ貯金箱」、四十年経った今も書斎に飾ってあります。私を勇気づける貯金箱です。