3月の法話 学校の宿題/植田観肇

 子供が学校から帰ってきても、気分が乗らないのかなかなか宿題をしない。楽しそうに遊んでいるのを中断させるのも申し訳ないと思う反面、今日中に宿題が終わるのか気になり、こちらの方がやきもきしてしまう。いっこうに遊びをやめないのでついに我慢できなくなって「宿題しなさい」と言ってしまう。

 自分も昔それを言われてムッとしたものだから、本当は言いたくないのだが、宿題をしないと次の日に困るだろうし、言われた方の気持ちは痛いほど分かっているがついつい口に出てしまう。案の定、憤慨しながらしぶしぶ宿題に手を付ける子供を見ながら、何かもっと良い言い方がないものかとこちらも肩を落とす。

 目の前の誘惑と未来の利益、一見簡単なように見えてもこれを冷静に判断するのは大人でも難しい。感覚的にはなんとなく同意して頂けるのではないかと思うが、意外な事に、これが学問の世界で科学的に証明されたのは最近だ。この分野を行動経済学というが、もともと経済学というのは人が合理的な行動をすることが大前提なので、人が非合理な行動をとることを経済学的に証明するというのはきっと大変なことであったのだろう。

 さて、そんな最近になってやっとできた理論だが、仏様は昔からお見通しだ。法華経の化城諭品(けじょうゆほん)というお経に、遠くにある大きな目標に向かうことは難しいので小さなゴールをたくさん作って皆をやる気にさせ、最終的に目標に導くリーダーが登場する。このお話は法華七喩の一つで、お釈迦様が皆を成仏に導く様子を喩えたお話しになっている。

 仏教はお葬式など死者のためのお話しが書いてあると思っている人もいるかもしれないが、それ以上に生きるための智慧が詰まった教えだ。仏様がせっかく私達のために残してくださった教えを使わないのはもったいない。

 個人的に、まずは宿題を楽しいゴールにする方法を考えてみようかな。