6月の法話 自然の恵みに感謝の心を/詠裡庵

 水が出て来ない。蛇口をひねれば水が出るというのは、ごく当たり前のことだと思っていたが、そうはいかないとなると、これほど不自由なことはない。

 そう言えば、今年に入ってから、雨も雪も降らず、この先作物がどうなるだろうと心配している農家の方の話しが、テレビにも流れて

いた。

 我が家では、主として山から流れ出る天然の水を水道管でひいて使っている。

 その水が日に日に少なくなってきたのは事実だ。でも全くないわけではないのに、水が出て来ないのである。途中の水道管が破損したとしか考えられない。

 そこで専門家に来てもらったが、水源からの道中、どこにも漏水した形跡が見当たらないという。土が湿っているところもないし、まして吹き出しているところもない。
「ま、様子を見ましょう」といって帰ってしまった。

 幸い近くに別の水系の水道がひいてあり、そこから水を人力で運ぶことで何とか急場をしのいだ。しかし不便な事この上ない。災害地の人たちの苦労を改めて思い浮かべながら不安な日々を過ごした。

 一週間後の朝早く、再び水道屋さんがやって来た。
「我々も納得できないので再度挑戦に来ました」

 なんと有難いことか。私も一生懸命に祈った。

 昼間近になって、
「漏水箇所が判りました」

 明るい笑顔で報告に来られた。まさに執念の仕事の結果である。菅の破損箇所が、下に向かって開いており、しかも漏れた水が地中に染みこんでおり、見た目にはまったく判らない状態だったのだという。早速修復工事を済ませてもらい、快適な水環境が蘇った。

 思えば一年前、豪雨が続き土砂崩れの災害が各地を見舞った。あればあったで水は困りものだが、ないのもこれはこれで困る。科学が進んだといっても、私たちの生活は自然に頼るところが大きい。水だけではなく、大自然の恵みに感謝し、次の時代に伝えていくことを、忘れてはならない。