ささやかなヒーローたち/倉橋観隆

今年はいよいよ東京オリンピックパラリンピック。日本のスポーツ界も活況を呈しています。それに伴って様々な競技でヒーローが誕生しています。

ところで、この「ヒーロー」とは大勢の人々から拍手喝采を浴びる人だけがヒーローなのでしょうか?

本来ヒーローとは注目されなくとも相手に勇気や希望。そして安心を与える存在も含まれるのではないでしょうか。

先日ある新聞の読者欄で二十八才の女性の投稿を目にしました。

ーー先日会社の忘年会で帰りが遅くなり終電に飛び乗った。駅に着くとタクシー乗り場は長蛇の列。少なくとも一時間は待たねばならない。家まで歩けば十分。意を決して歩き始めた。

暗い夜道。途中どうしても、植え込みの繁った公園の脇を通らなければならない。足早に通りすぎようとしたその時、「ガサガサ」っと茂みが揺れた。全身がこわばった。「ニャー!」

飛び出したのは猫だった。

でもまだ動悸は治まらない。ふと後ろを振り返ると十メーターほど後ろを四十才くらいの女性が歩いていたではないか。その女性も一瞬身構えた様だった。

私がマンションの入口に着いた時、彼女も向かいのマンショに入るところだった。一瞬顔を見合わせニッコリ会釈してドアの中に入って行った。お互い話はしなかったけれど私は彼女にどんなに安心を貰ったことか。でも私も彼女の用心棒になっていたのかしらーー

この話は何気ない日常の一コマですが、二人の女性にとってこの瞬間、お互いなくてはならない掛け替えのない存在だったのではないか。そしてお互いがこの夜のヒーローだったのではないかと思いました。

「誰かがあなたの力になっている。あなたも誰かの力になっている。誰かが誰かの力になっている」

法華経ではこんな私たちを別名「ぼさつ」と呼んでくれています。私たちも日々ささやかなヒーローになっていることに気づきたいものです。