4月の法話 数珠売りのおじさん/服部 憲厚

お釈迦さまの聖地を巡礼するため、今年一月インドを訪れた。

お釈迦さまを生んだインドという国は面白い。最もそう感じたのはヒンズー教の最大聖地、ベナレスを訪れたときである。

インド人にとって母なる川、ガンジス川の沿岸に栄えるこの街はいつも人で溢れている。ベナレスで一泊した私は、早朝のガンジス川へ行った。

人々が沐浴する横で洗濯する女性や火葬の灰を流す側で泳ぐ子供。異様なほどの活気に満ちていて人々が信仰と日常とを

この川と共に一緒くたになって生きている姿がいい。

きっとお釈迦さまもこんな風景を見ていたのだろうと、川岸へ下りたときである。一人の怪しいおじさんが近寄ってきた。

「ジュズ、ヤスイヨ!」

数珠売りのおじさん。

「コレハ、ボダイジュ…」「ヒャクヤッツ…」

片言の日本語でのセールストークは、すべて的を射ていて感心したが、どうやらおじさんは、私が日本人の仏教徒だと知って売りに来たようである。

「ボダイジュ」とは木の名前。お釈迦さまがこの木の下でさとりを開かれた、と伝わる有難い木「菩提樹」のことである。それゆえ数珠の原料として好んで使われることが多い。

さらに「ヒャクヤッツ」とは、私たちの欲望や本能の数で、いわゆる「煩悩」の数である。数珠は、概ね珠の数が「百八つ」と決まっているのだ。

考えてみれば数珠には仏教の教えが凝縮されている。煩悩に打ち勝ち、仏さまに近づくための大切な法具なのである。

私は迷わずこの数珠を買った。するとおじさんは、インドルピーを握りしめ、足早に雑踏の中に消えた。

どうやら私はぼったくられたらしい。海外に行かれる際は、くれぐれも注意していただきたい。

しかし、ものは考えようである。あのおじさんは、それだけの価値がある数珠を私に売ってくれたのだ。

この数珠を手にするたびにインドの思い出が蘇り、お釈迦さまの存在を肌で感じることができる。