10月の法話 どうしました?/日 慧


 休日が続くと困るのが医療機関の休診。年末年始やお盆など、日頃は元気なのにこういうときに限って調子が悪くなることがある。

 ある知人の話だが、連休の初日に体調を崩したという。しかし掛かり付けの先生は休診と聞いていたし、かといって救急外来というのも大袈裟な気がする。

 とはいえ、時間とともに段々不安が募る。休み明けまで放置していても大丈夫なのか、取り返しがつかないことになったらどうしよう。悶々とする中、ついに思い切って掛かり付けの先生から聞いていた緊急連絡先(携帯電話)にかけた。

 休暇中であろうに先生は迷惑そうな様子もなく、「どうしました?」

 その声を聞いただけで、不安は収まって気持ちがとても楽になったという。

 医師の声を聞いただけで半分以上は治ったような気になる。そんな経験をした人は多いのではないだろうか。存在自体が安心感を生むというのがお医者さまかもしれない。

 そんな安心感の塊のような存在が仏さまだ。仏の存在そのものが、接する者に安心感を与え、不安や畏れを取り除いて下さるのである。法華経寿量品には、仏を医師に譬えたお話しが描かれている。

 医師=即ち仏が、毒に侵されて正気を失った子供達=つまり私たち衆生を救おうと良薬を処方して下さった。そしてその良薬とは法華経なのだと説く。私たちにこの上ない安心を与えて下さる仏が、私たちの苦しみを消し去るために処方して下さったのが法華経という良薬なのだ。これを服せば必ず苦から脱することができる良薬なのである。

 しかしそれに気付くことなく、相も変わらず苦の世界の中でもがいているのが私たちの現実の姿だ。これを、何とかして良薬のあることに気付かせようとしたのが日蓮聖人である。聖人なくしては仏の御心は知られぬままとなっていたであろう。十月十三日は日蓮聖人のご命日だ。その遺徳に感謝して全国の日蓮宗寺院で御会式法要が営まれる。