7月の法話 気持ちを伝える/箕浦 渓介

馴染みの友人に対して、「きっとわかってくれるだろう」という思いから、ついつい対応が雑になってしまうことがある。

友人との連絡手段は、主にメッセージアプリを利用する。これは言葉がなくても、自分の気持ちが伝えられるようになっていてとても便利だ。

メッセージアプリでは「スタンプ」と呼ばれる、気持ちを表すイラストが送信できる。つまり、「今日こんな光景を見て面白かったんだ」とか、「今こういう気持ちなんだ」ということを、わざわざ言葉に変換しなくても相手に伝えることができる。

かくいう私も、そんな便利な機能をよく使う。特に眠い時や、会話が面倒になってきた時は顕著だ。卒業後すぐのころ、友人にとうとう怒られた。

「真剣に話しているのに、君はふざけているのか」と叱責されたのである。

そこで過去のメッセージアプリを見返してみた。思っていたよりひどい。全然会話に参加していない。その上深い話題の時でもスタンプで済ませている。しかも話題に関係のないスタンプだ。今思えば、よく付き合ってくれていたと思う。

もともとあまり話す方ではない。頭の中では話が進んでいるが、それを言葉にするのに時間がかかる。なのでついつい解かりやすいスタンプに頼ってしまう。

日蓮聖人は数多くのお手紙を書かれている。その多くはご信者から届けられたご供養へのお礼だ。

お礼の言葉とともに、必ず法華経の教えが説かれている。このようなお手紙が今もなお多数残されているということは、みんなが大切に保存していたからである。手紙から日蓮聖人の御心が伝わってくるからに違いない。

私は、日蓮聖人のお手紙を拝読するたびに、どんなに短いメッセージでも真心をもって書かなくてはならないと反省する。

過去の友人からのメッセージは、そんな私を理解して、フォローしたり、小気味よくいじったりしているものだった。改めて、ありがたいと思う。