1月の法話 新年の抱負 /箕浦 渓介
「ああでもない、これはどうかな?」
私が小学生の頃から通っている習字教室で中学生の男の子がつぶやいています。
どうやら学校に提出するための「書初め」をしているようです。
その様子を微笑ましく思いながら自らの学生時代のことをふと思い出します。
書初めの起源は平安時代までさかのぼります。
「吉書初め」(きっしょぞめ)という行事が、新年の宮中行事として毎年行なわれていました。
貴族たちが集まり、元旦を迎えて最初に汲んだ若水ですった墨を使い、恵方を向いて和歌を披露するというものです。この行事が、現在の書初めの起源とされています。
その後江戸時代に各地で寺子屋がつくられました。これはさまざまな身分の子供たちが文字やそろばんを習うための学校のようなものです。
文字を学ぶ際には当然墨と筆を使います。この中で新年に文字が上達するようにという願いを込めて、書初めが普及したと言われています。
明治になると義務教育が始まります。この時、墨で文字を書くということも大切だという考えから、書道も義務教育の一環として導入されました。
こうして多くの学校では冬休みの宿題として書初めを出すようになりました。学校で書初めを宿題として出すのなら、新年のイベントとしても活用できるという考えが広がり、全国各地で新年に書初めが普及したと考えられています。
大人になると、新年を迎える折に「今年も健康で過ごせますように」といった願いこそあっても、改まった決意表明はなかなかしないように思います。
今年は自分なりに新年の抱負を定めてみようか、と思っていた矢先、とあるお寺の伝道掲示板の言葉に「平坦な道を気をつけて歩く」と書かれていました。
成程、新年だから何か特別な思いや決意を、と意気込むことも良いけれど、普段の「当たり前」と思っていることに、十分気を付けて、大切に勤めることが大事だなぁ、と考えさせられた次第です。