1月の法話 目出度う! /日慧

「何でお正月にはお目出度うっていうんだろう」

何年か前ですが、初詣に連れられて来た子供が二人で話していました。

「御誕生日でもないし、別にお目出度くないのにね」

なるほど、なぜお目出度うなんでしょう。新年を迎えてお正月には「お目出度うございます」というのがごく普通の挨拶です。ただ今年はコロナ禍の中で、新年とはいっても、お目出度うと言うには少々抵抗があるように感じますが……。

そもそもお正月に、お目出度うと挨拶するのはどういうわけなのでしょうか。

もともと「めでたい」とは立派だ、賞賛に値するという意味で、慶賀を意味する言葉です。

入学、卒業、結婚あるいはノーベル賞を受賞したなど、人生の節目を迎えたり特別な偉業を成しとげた場合、その人を誉め称える意味合いを表す言葉として使われるもので、なるほどと納得できます。

ところがお正月は、特別なことを成しとげたというものではなく、誉め合い讃え合ってみても、何を誉め讃えているのか、漠然としていて理解に苦しみます。

これが年頭の挨拶に使われるようになったのは室町期からだと言います。当初は目上の者が目下の者に対して述べた言葉でしたが、やがて誰彼となく使われるようになってきたのです。

現在「明けましてお目出度う」という時には、まず今年一年も健康で幸多い年でありますようにという、謂わばお祝いの先取りと願いをこめて述べているものと理解できます。

私たちは自分一人で生きているのではなく、また一人だけで生きていけるものでもありません。人と人の繋がり、助け合いがなければ一日だって生きることはできないのです。

共に支え合って一年を過ごし、また新たな年を迎えることができたということは大いなる悦びです。

お互いに誉め讃え合い、また一年共に励まし合っていこう。「お目出度う」にはそんな思いが込められているのです。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。