5月の法話 他のためは、我のため/日 慧

能勢の山道は見通しの悪いカーブが多く、特に日曜日や祝日などは車も多く、十分な注意が必要です。

かつて、長野県の山岳地帯を友人の運転で走った時のこと。

彼は二車線のセンターラインギリギリまで内側に入って飛ばしていました。

山道に慣れている私が危ないと注意すると、

「でもセンターラインまではこちらに権利がある。センターラインを割って出なければ問題ないよ」

平然として答えました。

 

それはそうかもしれません。

しかしこれは権利義務の問題ではありません。

権利を主張しても、怪我をして痛い目にあうのは自分です。

それよりも、互いに気をつけ譲りあってこそ、楽しいドライブができるというものです。

 

ギスギスした世の中、ことにコロナの猛威が続き、世界情勢も穏やかならざる今の状況においては、互いに思いやりの心をもって過ごすことがなにより大切なことではないでしょうか。

 

宗祖日蓮聖人は、

「人のために火をともせばわが前あきらかなる」

と説示されています。

真っ暗闇の夜道を歩いている時に、難儀している人がいるとします。

その人のために灯りをとりだして道を照らします。

灯りはその人のためにともしたものであっても、その灯りによって、自分自身の前も明るくなり歩きやすくなります。

 

他のためにした行為であっても、実はそれがそのまま結果としては、自分自身のためになるのだということを示された遺訓です。

 

人は一人では生きていけません。遡れば数え切れないご先祖の存在があり、周りの大勢の人たちの力があり、様々な存在と共に支え合って生きているのです。

互いに他のために尽くすことがそのまま自分を助けることになり、より良い世の中が実現できるのです。

 

自分一人の、あるいは自国の利に駆られて他を害する暴挙に出るなどということは、厳に慎まなければならないことで、結果としては自分自身を傷つけることとなってしまうのです。